【 会員の随筆 「空の散歩」 】 −NO.3−
          
  
  
〔回数〕 〔掲載日〕 〔 路 線 名 〕  〔  航 路 事 情 〕 〔 訪 問 都 市 〕
第 3 回  2009.1.1 東南アジア路線  バンコク→シンガポール シンガポール

◆東南アジア路線

     赤道直下の国
         シンガポール
◎ シンガポールの街 

東南アジア路線
  北緯約1度にあるシンガポールは、人口366万人のシンガポール島と54の島々で構成された共和国であるが、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)日本が英国と激戦の末 占領したシンガポールは、かって英軍から「マレーの虎」と恐れられた山下奉文 南方方面軍司令官が、ブキテマ高地「現、トヨタ自動車工場」で英軍最高指揮官パーシバルとの間で交わされた「イエスかノー」かの直談判のあと、降伏に踏み切らせたシンガポール要塞であり、敗戦まで我が領土として、「昭南島」と呼ばれた島である。
 筆者は1958年5月、シンガポール路線開設後、初めて足を踏み入れた。
 赤道直下とはいえ海風がよく渡ってくるのか、肌に心地よく、初夏の強い陽光が河面に輝くジョホールバール水道(北コタバル方面から南下した日本軍は僅か2キロの水道を全軍が渡河するのに7〜8時間を要した)や、ブキテマ高地の激戦地の跡を駐在員の案内で見て回ったことがある。6000人に及ぶ抗日義勇軍(在留中国人)が日本軍に粛清された悲しい話(現在でも威圧的な日本人を影で“憲兵”、“憲兵”と土地の人はいう)や、炸裂した砲弾の跡や砲台の残骸などが時間の経過で風化したのか、何一つ当時の痕跡らしきものは残されていなかった。
     
 その後度々訪れることがあった。市街に入ると整然とした街の佇まいや、濃い緑の公園のなかにハイビスカスの紅色、黄色の花が花園のように乱れ咲いている。
 ビルの林立するオーチャード通りを歩くと、赤紫色や淡黄色の欄の切花を売る店や色鮮やかな民族衣装を商う店、ビルの中ではヨーロッパから直輸入された高価な宝石、時計、高級クリスタルガラスなどを扱う高級店が軒をつらねている。
英語で商談をまとめているのは殆どが華僑である。
 街中を走るタクシーも騒音、渋滞を避ける目的で台数を制限管理されていると聞いた。一名ファインシティー(罰金の街)と呼ばれるほど厳格な規律と罰金制度を浸透させたお国柄とか。
 
カトン地区にあった
Sea View ホテルの中庭
(クルーの定宿)
     
 外国人(特に日本人?)には先の戦争への怨念が残っているのかホスピタリティー(外国人歓待)を感じさせない。しかし1981年、アジア最大規模のチャンギー国際空港(元、刑務所の跡地)が開港されて以来、2007年のエアライン満足度テスト(空港のラウンジ、空港サービス、機内座席、機内安全、機内エンターティメント、機内食、客室乗務員の接客態度など)では480以上のエアラインと525の空港の中から五つ星を獲得したのはシンガポール航空などの4社だけである。
     
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                   山城高4回卒  吉田 和夫

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