【 会員の随筆 「空の散歩」 】 −NO.2−
          
  
  
〔回数〕 〔掲載日〕 〔 路 線 名 〕  〔  航 路 事 情 〕 〔 訪 問 都 市 〕
第 2 回  2009.1.1 東南アジア路線  香港→バンコク(タイ) バンコク

◆東南アジア路線

     灼熱の王国
         タイ・バンコク
◎ 航路事情 

東南アジア路線
 1960年代のDC6B全盛時代、ホンコン空港を離陸後 南支那海を南下、西沙群島ノース・リーフの直上を通過すると進路を西にとり、ベトナム領ダナンにむかった。ダナンからラオスのアンナン山脈を横切り、母なるメコン川を眼下に見てタイ領ウボンにむかう。ウボン上空から西南西方向に位置するバンコク・ドンムアン国際空港へは後一飛びである。
 南支那海上空は一般に天気は安定し、気流は穏やかである。白波が洗うノース・リーフは進路をかえる恰好な海上物標であった。ダナンからウボンに至るベトナム、ラオス、タイ上空は夏場10000メートルを超す暗灰色の積乱雲発生地域で、時折強烈な衝撃に見舞われた。
 しかし、ウボンを過ぎ やがて降下に入るころ、下方に白い雲が散り、緑の田園や綿雲を写した灌漑用水が陽に照り映えていた。高度をどんどん下げると遥か彼方に空港が見えてきた。約5時間の飛行後、13時頃着陸した。
     
◎ バンコクの街 
 機外に出るやサウナ風呂に入ったような異様な熱気に包まれた。早速地上係員に、運航状況の報告と航路上の雷雲発生地域を記入した気象現況図を手渡したあと、ドブ川沿いの悪路を1時間余走った。道路沿いには人家は少なく、時折車の窓越しから日焼けして半裸に近い土地っ子が川にもぐり、小魚らしいものを取っているのを目にした。ようやく瀟洒(しょうしゃ)なホテルに着いた。白い外壁に蔦の葉を絡ませた小さな館である。フマキラーの匂いのする涼しい小部屋に案内されると、白壁の片隅に小さなやもりが怯えたようにへばりついていた。しばらくすると真っ白い制服の50年代のウエイターが、丁重に「サワデイ」(今日は)とソーダー水を運んできた。お礼に小額のチップを手渡すと「コックン」(ありがとう)と軽く頭を下げ、仏様を拝むように両手を合わせてうけとった。
 殆ど風を感じさせない街を、伝統の民族舞踊を見ようと独り出かけた。
舗装された道のあちこちに渋柿色の袈裟を羽織った若い修行僧が、民家を托鉢しているのが目にとまったが、小乗仏教国らしく いずれも彼らを快く受け入れている主婦の柔和な笑顔が印象的であった。
 成人男性は、生涯に一度は出家して 少なくても3か月は功徳をつむのが慣習となっているお国柄で、その他に2年間の徴兵義務を負っているとか。
 
説教中のタイのお坊さん
     

タイの伝統舞踊
劇場に入るとショウの始まるまえであったのか、立憲君主国らしく観客全員が起立して国歌斉唱が始まった。慣習とは言え少し戸惑ったが起立しないわけにはいかなかった。規律に従わないと不敬罪で逮捕されることもあるという。
やがて舞台の前の方で単純な笛や太鼓のタイ伝統の楽器の演奏が始まると、舞台の袖から彩り豊かな民族衣装を着た踊り子たちがリズムにあわせて腰を振り、手をしなやかにくねらせて出てきた。笑うと頬が光るような愛嬌一杯の表情が館内をなごませた
     
 19世紀末期 欧米列強の干渉から逃れ、植民地化されずに現在にいたるタイ王国は明るい国民性と仏教国らしい、人に優しい民族のように思えてならなかった。    
タイ伝統楽器の演奏
     
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山城高4回卒  吉田 和夫

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