私の三中時代の記憶を飾るものの一つに文芸作品集「時計台」の
発行がある。これは同学年の友人11人が集まって作った同人誌で
ある=図3、4=。
あとがきで同人の一海知義君は「薔薇色の曙光を浴びて天空高く
聳えたつ時計台、つゝむ若葉にそよ風が薫る。若人の熱情を吐露す
べく同人相集い……」と述べている。体裁は70頁の活版印刷で内容
は図4に示す如く文芸誌である。編集は私で発行者は横田二郎とな
っている。発行は昭和21年11月20日。
それから70年もたった今、当時は苦労とも感じなかった仕事が懐
かしく思い出される。今思えば若気にはやった暴走としか思えない
ようなことをやったのだから。
資金もスポンサーもなく唯一の収入は広告料のみであった。つて
を頼りに横田君と2人で広告の掲載を頼んで歩いた。事業者の対応
は温かかった。また友人や先輩のつてを頼って有名人の作品原稿
をいただいた。そして仲間たちの作品とともに編集をし、印刷屋に
渡した。この印刷屋にも感謝する。何よりも一介の中学生を相手に
引き受けてくれたものである。しかし、当然赤字である。後にこれ
を埋めてくれたのは私の父である。
こうして「時計台」は出来上がった。非売品ではあるが、本屋の
店頭に置いてもらったり女学校に出向いて配布したりした。
第2集の発行も考えて、投稿を求めて数名の方の作品が来たが、
残念ながら発行に至らなかった。
同人11人のうち現存するのは新田、横田と私の3人である。亡き
友のうち文学の方向に進んだ友は少ないが、皆それぞれの人生を全
うしたものと思う。「時計台」はその人生の一頁を飾る青春の讃歌
であったであろうと思う。
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