京三中・山城高百年誌…年表史話 |
三中・山城高百年の間の『いい話』 明治四十年(一九〇七年)京都市上京区の山中油店を黒紋付、袴姿の二人の府会議員が訪れた。 |
五中開校の経緯 明治三十二年中学校令、中学校編成及び設備規則の改正が行われた。この改正が本校に制度上の多大の影響を与えた。その一つが第二中学校の設置であった。規則の第一条「一学校ノ生徒ハ八百人トス。一分校の生徒ハ三百人以下トス。」と定められたことである。 |
ある時期の三中制服 三中の制服は海軍式で、丈の短い五つボタン。冬は濃紺、夏は白。ゲートルも靴にぐるぐる巻き付けるものではなく、幅広の布製のものをホックで止める方式。ズボンのポケットはおしりの二つだけで横ポケットはなかった。これは中野校長が発案したもので、横ポケットに手を入れると姿勢が悪くなるというのがその理由。女学生によくもてたとかで、この服にあこがれて入学した人も。 |
学校行事 《ウサギ狩りは人気行事》 三中ではクラブ活動とは別に学校行事も盛んだった。創立当時から始まった贄(にえ)崎海岸(津市)での夏季水泳訓練がまだ続いていたし、冬には全校あげてのウサギ狩りも開かれた。ウサギ狩りはとくに三中生の人気を集めたようで、この思い出を語る人は多い。 |
新制高校として出発 《開校式で全校の「和」強調》 |
青年の像 青年は高い知性と深い友情とを持たねばならぬ。内省にもとづく勇気とすこやかな心身とをもって前進しよう。 |
聴覚障害教育について 昭和四十年代小・中学校で聴覚障害をもつ児童・生徒の受け入れが始まり、聴覚に障害をもつ児童・生徒は、一般の小・中学校で教育をうけることができるようになりました。 |
校庭地下に眠る平安初期の寝殿造り遺跡(歴史部生徒が調査) 当時の新聞は「邸宅の主はダレ? 山城高生が大研究」の見出しで、「遺跡は昭和五十四、五十五年の発掘調査でみつかり、平安京造営時の貴族の邸宅と判明。内裏を模した配置の貴重な寝殿造りで、遺跡に興味をもったメンバーが顧問教諭の指導で邸宅の主探しに乗り出した。」と大きく報道されました。 |
復元図 |
紅燃碑 紅燃碑記念行事に向けて、在校生へのメッセージ(抜粋)俳優田村高廣さん(三中三十七回卒) |
紅燃碑除幕式に集まった3学年の同窓生 |
閉校記念式典 本校は、昭和十一年三月創立され、以来六十四年の長きにわたり勤労学徒の学び舎として明かりを灯し続けてまいりました。 |
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