【 京三中第37回卒業生 】            

      


    (1) 谷野校長先生から生徒へのメッセージです。                                       

本 校 「 紅 燃 」 碑 に つ い て
  来る12月1日(土)に中庭にある「紅燃(こうねん)」碑の前で、山城高校の前身である京都府立
 京都第三中学校第37回卒業生(1945年卒業、現在78、9才)の方々が、記念行事をされます。
  昭和19年(1944年)、当時の3・4・5年生(現在の高1・2・3年生)全員750名が学徒勤労
 動員(第2次世界大戦中、労働力不足に対し、生徒を軍需産業に動員した)で愛知県半田市の 
 中島飛行機製作所で働いていました。
  その年の12月7日午後1時、マグニチュード8の「東南海地震」が工場を襲い、各地から動員
 された生徒153名が亡くなりました。犠牲者のうち4年生13名が皆さん方の先輩でありました。
 13名の方の50回忌にあたり、卒業生によってこの石碑が建てられました。
   青春を奪ったあの戦争から50年、自分たちの「戦後」にけりをつけるという意味で、平成6年 
 これが建立されました。
   除幕の日、先輩である 故田村高廣さん(田村正和さんの兄で俳優)が後輩の諸君に対して  
 「僕らは戦争のために、十代の紅(あか)い血を燃やし尽くした。みんなは、平和のため、文化の
 ために紅い血を燃やしてほしい」と述べられたそうです。 
       



    (2) 平成19年12月1日(土) 「紅燃」碑前の記念行事

当日は良い天気に恵まれ、京三中第37回卒業生の一色さん他10名ほどの方と谷野校長先生他

学校関係の方が記念行事に参加されました。
           
本校中庭「紅燃碑」前で 朝日新聞の取材風景